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オチキス H35(制式名称''Char léger modèle 1935 H''、軽戦車1935年型-H、Hはオチキス社を示す識別記号)は第二次世界大戦前に開発されたフランスの軽戦車である。 == 開発 == 1926年、通常の歩兵師団に対する支援任務のために独立戦車大隊を創設すること、その大隊には安価な軽歩兵戦車(フランス語でシャール・ダコンパニュモン''char d'accompagnement''=随伴戦車と名付けられた)を配備することが決定された。当初、この目的のためにルノー D1が開発されたのだが、これは特に安くも軽くもなかった。 1933年、オチキス社は自主案として、より軽量の戦車のデザインを提出した。これは、車体各部を鋳造し継ぎ合わせるという新技術によるものだった。1933年6月30日、提案は戦車開発の諮問委員会(''Conseil Consultatif de l'Armement'')で承認され、8月2日には、重量6トン、装甲厚30mmという仕様も決定された。3輌の試作車がオチキス社に対し発注されたが、一方で、他のフランス国内各メーカーに対しても、比較案を募ることとなった。その結果、いくつかのメーカーが競争に参加したが、このうちルノーはオチキスに先んじて試作車を完成させ、これはその後ルノー R35として採用された。 一方オチキスの試作車も、1935年1月18日に、ヴァンセンヌの機械化兵器評価委員会(''Commission d'Expérience du Matériel Automobile''、CEMA)に引き渡されたが、この1号車は、砲塔を持たず、ケースメート式に機銃1丁のみを装備したむしろ豆戦車と呼ぶべき車両だった。同車は1935年3月4日までテストされ、その後同型の2号車に代わって、こちらは5月6日までテストが行われた。結局これらは不採用となったが、それは1934年6月21日の段階で、装甲厚を40mmにすべしという新しい仕様が導入されていたためで、1935年6月27日、委員会は必要な設計変更を盛り込むことを条件に同車の開発続行を認めた。 8月19日、新しい鋳造のAPX製砲塔を搭載した試作3号車が引き渡され、9月20日までのテストを経て採用となり、11月6日には最初の200輌の発注が行われた。生産初号車は1936年9月12日に引き渡され、その年の内にさらに92輌、108輌の2度の追加発注も行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オチキス H35」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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